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堺文化財特別公開 その2

Img_2952 明治元年、堺の町へ上陸したフランス兵と警備に当たっていた土佐藩の守備隊との間にいさかいが起こった。フランス兵十三名が殺されるという事態になり、フランス側からの抗議により、土佐藩の者二十名が切腹することになった。フランス公使は切腹の現場に立ち会ったのだが(森鴎外作 堺事件より)

司馬さんの小説にもあった堺事件の現場です

Img_2950 堺旧港のそばです 本で読んだのと

実際にその場に有るのとでは、伝わって

来るものが違います 当時の侍が外国人

Img_2966 にどの様に対応すればよいか解らない

ところで起こった事件です 土佐藩士が

切腹した妙國寺の通りにある石柱

が何とも言えずに郷愁をさそいます

Img_2967 明治36年に立てられた石碑なのに

こんな言葉でいいのかなと思いますが

もう少し思いやりのある表現にして

ほしかったですが。

Img_2963

Img_2964 宝珠院の中にお墓がありますが

幼稚園の運動場になっていて

入っていけません、これでは

Img_2965 安らかに眠れないのではないでしょう

その前にある妙國寺にも同じくりっぱな

碑があります  やはり自分の目で

見てはじめて実感としてわいてくるものがあります

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コメント

堺事件の情報ありがとうございます。
森鴎外の『堺事件』早速読んでみました。
当時の堺の人は外国人を見たことがなかったからとても怖かったんですね。

でもまぁ・・・フランスの公使は切腹の現場を13人もよく立ち会ったものですね。最初の何人かが切腹するのは珍しかったんですかね。興味深く見ていたんでしょうか?
それにつけても、気の毒なのは土佐藩士。
命令に従ったのに切腹とは無念だったでしょうね。

投稿: よだきぼママ | 2007年11月 6日 (火) 21時09分

森鴎外にそんな作があるなんて知りませんでした。フランス人はきっと、興味シンシンで見たでしょう。そんなに怖がったとは思えません。フランスの歴史、フランソワ1世からルイ16世まで、人を処刑するのを、貴婦人たちも見物したと言います。人間の歴史って、知れば知るほど残酷です。

投稿: 山口ももり | 2007年11月 7日 (水) 19時26分

ももりさんこんばんわ 人間が一番残酷な生き物でしょう 戦争のような事は他の動物はしないですから ギロチンと切腹とでは凄惨な場面が違うのでしょう
初めは興味シンシンだったはずです、が内臓を手でわしづかみにして投げつけた侍もいたそうです
それで途中で気分がわるくなり退席して後残りの人達の切腹を中止させたということだそうです。

投稿: あきみず | 2007年11月 7日 (水) 20時50分

よだきぼママさんコメントありがとうございます
私も司馬さんの小説で少しは知っていましたが、やはり現場をじかに見て感慨無量でした 生麦事件の時は
賠償だけなのに、明治政府がまだ機能していない時期
だったので、事なかれで要求を呑んだのでしょうか
土佐藩士の無念さは計り知れないでしょう 生き残った9名のかたも重荷を背負っての生涯で、つらいものがあったと思います

投稿: あきみず | 2007年11月 7日 (水) 21時14分

なんとも、すざまじいお話なんですね。これは、やっぱり、鴎外を読んでみなくっちゃ。次のブログ、お手元の写真からは、あきみずさんは男性???ですか

投稿: 山口ももり | 2007年11月 9日 (金) 09時45分

ももりさんコメントありがとうございます 森鴎外のは細かい記述で難しいみたいです 司馬さんのは短編に収められてたと思いますが 題名をわすれましたが
こちらの方が読みやすいでした プロフィールで書いてあるとうりですが 手の写真は自分の手ですが、どうしてなのですか教えてください。

投稿: あきみず | 2007年11月10日 (土) 22時38分

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