飛鳥寺西方、甘樫丘東麓遺跡現地説明会

奈良県明日香村飛鳥寺と甘樫丘東麓遺跡

の現地説明会にいってきました。

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飛鳥寺と甘樫丘東麓はすぐ近くで

歩いて10分ほどです

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石敷きは前回もありましたが、範囲が広い事に

驚きます この土管は上水道で入鹿の首塚

からここまで延びています

次は 甘樫丘東麓にいきます

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斜面の上部に柱列があり塀が巡らされて

いてその内側に建屋があったと推察されます

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この場所は蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅が

あったと日本書紀に記されています

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斜面の下にも建物を示す柱列が見つかり

造成を繰り返しながら土地利用が行なわれて

いた事がわかります 丘陵上にも何らかの

施設が存在する事を示唆する発見です

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説明会の会場には朝早くから大勢の方が

見えられて 熱心に写真を撮り担当者に

説明を聞いて質問をされています。

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奈良明日香  飛鳥京現地説明会 2010.2.14

奈良明日香村で飛鳥京跡北限を明らかに

する調査の現地説明会がありました。

甘樫の丘から見た葛城山 寝釈迦を

胸に抱いている感じです。

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飛鳥寺の南側 昨年2月14日にも161次調査

の説明会がありました 今回はその北側(上)

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左が飛鳥寺、右端のテントと民家の前が

発掘現場になっています

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ピンクの部分が石敷広場 2区の赤の所が

今回の発掘された場所です

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飛鳥寺の前にこんな大きな石敷広場が

あったのです 

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1区の石組溝は幅3m深さ80cm東西方向に

向いているのが見つかりました。

溝からは土師器や須恵器などの多量の

遺物が出土しました この溝は飛鳥京跡

で確認された中では最大でした。

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この溝から出土しました 藤原宮に宮が

移った時に埋められたようです

今回の調査は世界遺産登録に向けた

事業の一環だそうです。

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奈良県御所市 秋津遺跡

Img_8262 奈良県御所市(ごせ)

葛城山の裾にあります

24日は島本町広瀬

Img_8223 遺跡からこちらに

移動しました。京奈和

自動車道の建設に

Img_8224 先立つ調査で発見

された古墳時代前・

中期の遺跡です

Img_8238 二本の柱に挟まれた

板で囲まれた区画が

三箇所見つかりました

Img_8249 上の埴輪のように

塀に囲まれた施設が

実際に存在した事が

Img_8245 明らかになりました。

何かの重要な儀式に

使われた場所と考え

Img_8234 られます。この区画

より上からは 多量の

土器、勾玉 ふいごの

羽口や鉄さい(鉄のかす)

等の鍛冶に係わる物も

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発見されました。

ここから南側に古墳時代中期の

200mを超える前方後円墳の

宮山古墳があります。

Img_8260 八幡神社の

後ろに 宮山

古墳があります

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左側横から

石室に上る

Img_8254道があります

神社と古墳の

取り合わせは

Img_8255 卑弥呼の墓と

宇佐神宮も

よく聞きます

宮山古墳の

頂上部にある

Img_8256 埴輪と石棺の

蓋の一部が見えます

一日でいろんな所を

Img_8258 廻り楽しい体験を

してきました。

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楠木正成、正行 続きを少し

Img_8209 尊王の忠臣

楠木正成はしばしば

国威発揚の人物

そして取り上げられて

います

Img_8208 明治政府 昭和軍部

に忠臣としてでてきます

菊水紋も 潜水艦 飛行機

等に描かれています。

Img_8273 陸軍第22戦隊の

戦隊マークは菊水

を尾翼に描いて

います。  正行は吉野 後醍醐天皇陵

に報告し 如意輪寺の扉に辞世の句を

鏃で書き [かへらじと かねて思へば梓弓

 なき数にいる 名をぞとどむる]  残し

四条畷に出撃していきました。

Img_8267 昭和20年3月11日

24機の銀河爆撃機

がウルシーに向って

飛び立ちます 梓特別攻撃隊と命名されて

その一機 [梓 武夫の行くては同雲萬里

えみしの空を晒 染けむ]  と辞世が書き

込まれていました  当時の心境が

正行と同じものだったのでしょう。

キットは疾風が ハセガワ1/48  2000年8月 製作

銀河  ハセガワ 1/72 2002年2月 製作

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楠木正成 正行 桜井の別れ

島本町の広瀬遺跡現地説明会で

この地には承久の乱のあと115年後

♪青葉繁れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ♪

で知られる 桜井の駅跡があると教えてもらいました。

Img_8215 JR島本駅の横に顕彰碑が

立っています

1336年 足利尊氏の

Img_8206 大軍を湊川に迎え撃つ

べく出陣する時に 息子

正行と今生の別れを

Img_8217 した所です 乃木希典

の書で明治政府の

天皇崇拝の権威を

持たせようと したので

しょうか 

Img_8216 昭和に入っても

楠木氏を讃える

ように 仕組まれた

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ように 思えて

なりません

こちらは東郷

平八郎の書です

Img_8210 桜井の別れは

知っていましたが

奈良の桜井かな?

Img_8220 くらいの知識でした

1347年 正行は

四条畷の戦いに

臨みました。

何気ない思いで

出かけたところに 大きな発見が

ありました。

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広瀬遺跡発掘現地説明会 

大阪府三島郡島本町広瀬は 京都と

隣り合わせ 天下分け目の天王山の

裾にあります ここに水無瀬神宮があります

Img_8188 ここは元、後鳥羽上皇の

水無瀬離宮が

あったとされるところです

Img_8187 1221年におこった

承久の変で鎌倉幕府軍

に敗れた上皇が祭られて

Img_8185 います  ここから西に

600m行った住宅に

囲まれた田んぼに

Img_8263 調査地はあります

表面から50cmほど

掘り下げたところに

遺構が出てきます

幕府軍が徹底して

Img_8199 壊し その後ご難を

恐れて農地になった

のではないかと言われて

Img_8192 ました 当日はホントに

多くの見学者が見えて

います 歌人として

Img_8204 名高い後鳥羽上皇の

宮跡を見てみたい思い

があるのでしょう

テープの張られてる所が柱穴 石敷きの

雨落ち溝がその後ろになります

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難波宮跡発掘調査 

Img_8150 大阪市中央区法円坂に

ある難波宮跡で奈良時代の

後期難波宮の基壇跡が

Img_8151 見つかりました 

左の一番奥 ですが

市内のビルに囲まれた

Img_8153 大阪城の南に位置します

大極殿院の基壇後ろに

お城が見えます

Img_8154 難波宮はこの後

長岡京に遷都され

建物は解体されて

Img_8170 移築しましたので

破片しか残って

いません ブルーの

Img_8165 テープで囲ってある

ところが基壇の盛り土

箇所です 土の断面が

Img_8167 この範囲に入っている

石粒の量で判るそうです

現在までその当時の

政策により変化した様子がわかります

平安から室町までは耕作地として

ひっそりと過ごしてきていたようです。

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藤原宮 現地説明会

Img_8001 11月29日に藤原宮

での発掘調査の現地

説明会がありました

Img_7847 前回コスモスの咲いて

いる時に見たのは

発掘中で柱も立って

Img_8002 いました。

西に畝傍山がその

後ろが葛城山左が

Img_8003 金剛山です奈良県

側から見るとなだらか

な山容です 

Img_8004 実は13時半からの

説明を朝早くでかけて

中に入れませんでした

Img_8005 こんな事はめったに

ないのですが

残念なことで

次の予定があるので今回はここ

で撤収しました。

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奈良高市郡高取町薩摩遺跡 現地説明会

Img_7994 古代の灌漑用

ため池から水を

通す木樋(もくひ)

Img_7960 が見つかりました

現説と聞いて

じっとしてる訳には

Img_7961 行きません 

丸太を幅20深さ

20cmにくり抜いて

Img_7971 天面に蓋をして

隙間に杉の皮を

詰めてあった

Img_7974 そうです 水は

生活、農耕に

欠かせない貴重

Img_7976 なもので、その

維持に当時の

技術を集めて

Img_7966_2 作られたもの

でした 池の底

から見つかった

Img_7965 奈良、平安時代の

土器と木簡です

波多里長檜前

Img_7967(はたのりちょう

ひのくま) 村主

(すぐり)が池を

作った と記されて

います

Img_7969 ここも道路の

建設で見つかった

ようで そこまで

せまってきています。

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奈良櫻井 纏向遺跡現地説明会

Img_7884 今新聞を賑わして

います 卑弥呼の

王宮ではないかと

Img_7885 いわれる纏向遺跡

に朝早く出かけました

今回は建物CとDの

Img_1884 柱穴が見つかりました

前回3月22日に書き

込みました 建物B

Img_1888 と東西の軸線が

同一上にきています

建物Dは南北19.2m

Img_1891_2 東西12.4mと3世紀

中頃までの建物遺構

としては国内最大の

規模をなすものなりました。この場所が

纏向遺跡の中心的な人物がいた居館域

と考えられます。 柱穴の柱は全て抜き

取られて他に転用されたようで、何も

残っていませんでした。

Img_1901_2 帰り道慶田寺

に織田有楽の

お墓があると

いうので廻って

みました 信長の

弟で秀吉の御伽衆

をつとめて銀座有楽町の元になった

方のお墓がどうしてここにあるのでしょう。

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