11月29日に藤原宮
での発掘調査の現地
説明会がありました
前回コスモスの咲いて
いる時に見たのは
発掘中で柱も立って
いました。
西に畝傍山がその
後ろが葛城山左が
金剛山です奈良県
側から見るとなだらか
な山容です
実は13時半からの
説明を朝早くでかけて
中に入れませんでした
こんな事はめったに
ないのですが
残念なことで
次の予定があるので今回はここ
で撤収しました。
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古代の灌漑用
ため池から水を
通す木樋(もくひ)
が見つかりました
現説と聞いて
じっとしてる訳には
行きません
丸太を幅20深さ
20cmにくり抜いて
天面に蓋をして
隙間に杉の皮を
詰めてあった
そうです 水は
生活、農耕に
欠かせない貴重
なもので、その
維持に当時の
技術を集めて
作られたもの
でした 池の底
から見つかった
奈良、平安時代の
土器と木簡です
波多里長檜前
(はたのりちょう
ひのくま) 村主
(すぐり)が池を
作った と記されて
います
ここも道路の
建設で見つかった
ようで そこまで
せまってきています。
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今新聞を賑わして
います 卑弥呼の
王宮ではないかと
いわれる纏向遺跡
に朝早く出かけました
今回は建物CとDの
柱穴が見つかりました
前回3月22日に書き
込みました 建物B
と東西の軸線が
同一上にきています
建物Dは南北19.2m
東西12.4mと3世紀
中頃までの建物遺構
としては国内最大の
規模をなすものなりました。この場所が
纏向遺跡の中心的な人物がいた居館域
と考えられます。 柱穴の柱は全て抜き
取られて他に転用されたようで、何も
残っていませんでした。
帰り道慶田寺
に織田有楽の
お墓があると
いうので廻って
みました 信長の
弟で秀吉の御伽衆
をつとめて銀座有楽町の元になった
方のお墓がどうしてここにあるのでしょう。
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三輪山の南
JR櫻井から
東1Kmの
所にあります
茶臼山古墳の
水銀朱が全面に
塗られた石室が
公開されています
墳丘の盛り土が
削り取られ天井石
と玄室が見えます
どれも朱色に塗ら
た大きな天井石と
薄い板を積み上げた
側壁から出来て
います
石室の中には
木棺がありましたが
盗掘で破損して
あり原型を失って
しまっていました
保存の為に運び
出されています
全長200mの
前方後円墳で
竪穴式石室が
完存して見ること
のできる最古の
古墳だそうです
山の辺はよく
歩くのですが
こちらの方には
来た事なかった
ので 新しい発見がありました
今日は
ハロウィン
です
こんなのも
見つけました。
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大阪府藤井寺市は古市古墳群
の北側に位置します
津堂城山古墳は
左上にあります
古市古墳群内では
最も古く造営された
前方後円墳で室町
時代に城が築かれ
墳丘はかなり削られて
います 今回は墳丘を覆う葺き石から
後円部が4段構造
ではないかと推察
される遺構が見つかり
ました 1段目テラス
に円筒埴輪列の後が
見えます
城を作った時の
土塁の土が葺き石を
上手くその形態を
守ってくれた訳で
全周にこの様に
覆われていた
のです
宮内庁の陵墓
参考地に指定
された頂上部
に石棺が
見つかり埋め戻されています
帰りは古墳をめぐり帰ります。
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明日香村甘樫丘
の駐車場上がその
会場です 飛鳥寺
の近くです 雨が
降るという事でしたが
一つも降らなかった
駐車場が一杯になる
前に早く来ましたので
飛鳥寺に手前が入鹿の
首塚といわれています
ちょうど田植えが終わった
ところで ここから甘樫丘
に登ります 145m程で
上から望む飛鳥寺は田んぼ
に面しています この地に
蘇我蝦夷、入鹿親子が
邸宅を建てたと記されて
います
特に前回からの石垣が
どこまで続くか解ったよう
です 蘇我氏が渡来人の
技術をつかって、土地の
造成、補強をおこなった
かも解りません
大化の改新で入鹿が
殺された時に、蝦夷は
屋敷に火を放って蘇我氏は
滅んだといわれています。そんな思いが
めぐる今回の見学説明会でした。
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奈良県櫻井市にある
纒向遺跡で柵で区画
された建物の柱跡が
見つかりました。今日は
雨と言う予想を覆して
曇りで、さすがに新聞に
卑弥呼と同時期と書かれて
いては大勢のファンが
見えるのは致し方ないこと
です。卑弥呼の墓と言われる
箸墓古墳はこの南に見えます
10時からの説明に纒向遺跡の
全体の保存整備にむけての
調査とを兼ねているそうで
まだ未調査の東側区画も
いずれ掘るので何が出るか
楽しみだそうです。5枚目
右奥にみえるのが箸墓
古墳です。 最後が出土した土器です
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明日香で二ヶ所の現地
説明会があるというので
さっく駆けつけました
この辺りは飛鳥京の
宮殿が立ち並んでいた
所で幾度も現説がありました
今回は飛鳥寺のすぐ傍
になる外郭北部の発掘
になります 庇の付いた
雨落ち溝がある建物と
その前が砂利敷きの
広場になっているのが
分かるそうです。
石神遺跡は飛鳥寺の
北側にある外国使節を
饗宴する施設があった
所です ここも何回か
現説がありました
13時半からですが
今にも降りそうな雲で
早々に見学だけして
帰ってきました
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御所市の発掘している
北側の道路を挟んで
橿原市観音寺地区を
橿原考古学研究所が
発掘しています おくに
見えるのが葛城山です
広大な範囲で発掘している
のが解ります その為に
川跡も確認されそれにより
土器棺墓が河道に沿うように
ほぼ等間隔に点在するのも
あることが解りました
これだけの広範囲を発掘
出来るのも高速道路の
インターチェンジにあたる
為だそうで時間的な
プレッシャーを受ける
ようです 左はテレビでも
紹介されました土偶です
口の上にある穴二つは
目ではなく耳だそうで
目の場合はまつげが
ついて凸になっている
そうです 性別ははっきり
したのはありませんが
ほとんど女性を表して
います その下は
乳房をある土偶の
一部です
左もよくテレビで紹介
されました石棒です
これも祭器の一つ
で男性器を表して
います
出土品はこれだけで
あとは現場にそのまま
残っていますが
これも一つ一つ取り
外して整理するそうで
四月から夏の暑い時に
みんな手で掘る大変さ
を知ってほしいとの事です
遺跡の発掘は何が出るか
解らないのが作業の
エネルギーとなるわけです
この場所は昔から田んぼ
だったところで地盤が
荒れていなく発掘には
好都合の場所といえる
所でした これ等の
配置により当時の
人の行動や意識が
わかってくるそうです
長い間お付き合い
いただきありがとう
ございました
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奈良県御所市(ごせし)
の高速道路建設に伴う
発掘調査で縄文時代
晩期(3000年前)の
住居跡、土器棺墓、土偶
が見つかりました その
現説に近鉄御所から歩いて
30分の本馬という所に行き
ました まだ正式な遺跡名は
付いていません 前回もこの
北側で大きな水田跡が見つかって
おり古代から人々の営みが
続いてきた所です
住居跡は柱穴の位置から
直径9mで中心に炉跡が
確認されています
土偶は作りが扁平で
装飾のない西日本の
縄文晩期の特徴を
備えています 石器は
この北西にある二上山
で産出するサヌカイト
が使われています
3000年前の人が
これ等を作り上げていた
のは驚きとともに、
当時の生活手段が伝わって
きました
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